イサベラ・ロヴィーン - 沈黙の海-最後の食用魚を求めて

沈黙の春」を思い出した。良著。

沈黙の海-最後の食用魚を求めて

沈黙の海-最後の食用魚を求めて

  • バルト海に於けるタラの水揚げの激減
  • 水産資源枯渇の原因は、過剰な漁獲
  • 人間の経済活動が生態系のバランスを崩壊させる
  • 海とそこで採れる水産物は、誰のものか

環境政策の先進国と呼ばれてきたスウェーデンで、こんなにひどい状況になっていることに驚いた。唯出版されたのは2年前なので、現在では状況が変化しているだろうが。
本書はまずバルト海のウナギ漁の漁獲が過去20年で99%減少したという衝撃的な現状を皮切りに、タラの減少とそれに伴うスプラットやエビの爆発的な増加、漁業による少ない利益に対し莫大な額費やされる漁師への補助金等、スウェーデンEUが抱える様々な問題を取り上げている。
共有地の悲劇」という言葉で表わされるように、「俺が取らなくても誰かが取ってしまう」という発想を許す状況が長年続いてきた。感覚的には抵抗があるが、もはや海を「みんなのもの」として扱い、管理するのは限界にきているのだろうか。ITQ制度を採用し、さらに水産資源の管理を水産省のような漁業推進の立場をとる役所から、環境省等その継続的な利用と保全を第一に考える役所へと権限委譲するべきなのかもしれない。
日本の名前も数回出てくる。それは日本が世界有数の水産資源消費国だからである。
最近気になったのは、NHK時論公論で「巻き返せるか クロマグロ禁輸案」という、いかにも日本政府の気持ちを代弁するようなタイトルの放送があったことだ。

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/36804.html
こうした魚類が今回をきっかけに、次々とワシントン条約で規制されれば、食卓には深刻な影響が出てきます。さらに一旦、付属書Ⅰに掲載されれば、これを引き下げるのは至難の業なのです。

事実のみを述べているようで、実際は日本にとってネガティブな面のみを述べ、では規制しなかった場合にどうなるのかといった視点が抜けているように感じる。
確かにマグロが好きな日本人には困ったことかもしれないが、中立的な視点を求められる報道機関がこのような偏ったタイトルで番組を組むのはどうかと思う。
こんなことを考えるのは、私がそれほどマグロが好きなわけでないからかもしれないが、昔の水準から考えると現在の相場は下がりすぎているような気がする。24時間営業の寿司屋にとっては生命線かもしれないが、そもそも24時間寿司を食べられることに対する需要が存在する状況というのは異常なのではなかろうか。さっさと寝ろと言いたい。
訳者の佐藤吉宗さんはスウェーデンヨーテボリで経済学の研究をされている方。もう5年ほどブログを読んでいるが、さまざまなトピックについて的確な分析をしている。興味があったらどうぞ。

スウェーデンの今

sendToで、選択したファイルを日付名の新しいディレクトリに格納するpythonコード

久しぶりに週末プログラミング。10分で完成した。
こういうのを作るたびに、pythonライブラリの充実ぶりに感心する。

#!/usr/bin/python
# coding: UTF-8

import sys,os,datetime,shutil

argvs = sys.argv
argc = len(argvs)

if argc == 1:
	sys.exit()

d = datetime.datetime.today()
newdir = os.path.dirname(argvs[1]) + "\\" + d.strftime("%Y%m%d")

if os.path.exists(newdir):
	sys.exit()

os.mkdir(newdir)
os.chmod(newdir, 0775)

for arg in argvs[1:]:
	 shutil.move(arg, newdir)

こいつをsendToディレクトリに(ファイル名).pywという名前で格納。
あとは整理したいファイルを選択→右クリックで"送る"からこのpywファイルを選ぶだけ。簡単。
既に当日のYYYYMMDD形式ディレクトリが存在する場合は、何にもしない。
Windows7はsendToディレクトリの場所がXPから変更されているけど、スタートメニューの検索窓で「shell:sendto」と打てば一発で開けるので便利。

恩田陸 - 私の家では何も起こらない

なにそれこわい。

私の家では何も起こらない (幽BOOKS)

私の家では何も起こらない (幽BOOKS)

  • 怪奇作家・恩田陸
  • 悪意、あるいは善意
  • 200ページ程度。気楽に読める。

神聖な場所に建つその一軒家では、惨たらしい事件が幾度も起こった。ある時は赤ん坊が生まれたばかりの夫婦が、あるときは虐待された子供たちが、またあるときは秘められた過去を持つ姉妹が犠牲になった。それでもその家は人を引き付け、また新たな犠牲者を生んでいく。
幽霊が住み、周囲を丘の番人が這い回る家の話。殆ど恐ろしいエピソードばかりである。恐ろしいのは、狂気に陥っている人物に限って、普通の人だったりむしろ好人物として描かれ、帰って狂った面との差が際立ってみえるからかもしれない。
「デジャヴとは幽霊」とか、「小説家は幽霊の体験を書いている」といった持っていき方もなかなか面白いと思った。

アンドリュー・リー - ウィキペディア・レボリューション―世界最大の百科事典はいかにして生まれたか

発展のプロセスがよくわかる。

ウィキペディア・レボリューション―世界最大の百科事典はいかにして生まれたか (ハヤカワ新書juice)

ウィキペディア・レボリューション―世界最大の百科事典はいかにして生まれたか (ハヤカワ新書juice)

  • ウェブの発展と、Wikipediaの発展の対比
  • 個人間対立の解決策
  • 荒らしとの戦い
  • これからどうなる?

私がウィキペディアを知ったのは2003年頃で、丁度急成長の最中だった。そのころはスタブ記事が目立つ、整備されたての工業団地といった様子だった。現在では押しも押されもせぬ、インターネット上の一大情報源である。
本書では、ウィキペディアの成立過程と急成長の要因、それに伴う問題の発生と、それに対してウィキペディアコミュニティがどのように対処してきたのか詳しく書かれている。
この本を読むと、成立期のメンバーであるラリー・サンガーに対してよく思わなくなる(私だけ?)。どうも彼の神経質さ、融通の利かなさ、学歴に対する拘りのようなものが鼻につく書き方がされているためだ。実際そうなのかもしれないが。
彼が新たに始めたシチズンディウムというサイトは、記事の認証に厳密なプロセスを用いているため、ウィキペディアのように誰でも書き込めるわけではないが、その分正確性に優れる。
要はバランスなのである。無数に存在するオンラインメンバーの力をうまくコントロールできたならば、非常に大きな事を成し遂げられるということを、ウィキペディアは体現した。
唯、記事の増加速度は徐々に鈍っており、安定期に入ったウィキペディアがこれからどのような方向へ進むのかは、まだ誰にもわからない。本文にもある通り、「最大の敵は成功」なのである。
なお、あとがき部分はウィキペディアで文面を募ったらしく、非常によく書けている。時間がない人はこの部分を読めば、本文に書いてあることの7割方は理解できるのではなかろうか。

恩田陸 - 六月の夜と昼のあわいに

「最近の」恩田陸らしい作品。

六月の夜と昼のあわいに

六月の夜と昼のあわいに

  • 短編集。
  • 詩と挿絵は素晴らしい。

恩田陸の作品は、「ねじの回転」のような一部の例外を除いて、よくわかんないくらい不思議がらせといてフォローせずに放り投げる、というものが多い。
大体もやもや感が残る。だがそれがいい
本作の短編たちも、大体そんな感じ。

  • 「恋はみずいろ」

  • 「約束の地」

    最後のページでやっと誰のことかわかった。
    「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」

  • 「夜を遡る」

    田舎に生まれたかった。

佐藤 治夫 - ダメな“システム屋”にだまされるな!

概ね同意。

ダメな“システム屋

ダメな“システム屋"にだまされるな!

  • 日本ITベンダーのビジネスモデルは不健全
  • 日本的な協力システムを生かす方法を考える

長年この業界を見てきた著者が、仕事をもらうとこに安閑としていてリスクを取れないシステム屋に対して警鐘を鳴らしている。
確かに業界の構造はここ10年以上変化していないようだ。このまま同じことを続けていっても未来は明るくないだろう。
ただ、日本人の良さを生かす方法として、トヨタが「カイゼン」で収益を向上させたように、同じことがIT業界でもできるはずだと書いているが、これが具体的にどのようなことを指すのか曖昧だと感じた。
著者も書いているように、遺失物管理システムをそのままM&A案件管理システムに応用できないのと同様、他の業界でうまくいったからといって同じ方法をそのまま他業界に適用できるとは限らないのではないかなどと、ひねくれものの私は思うのだった。